熊本地方裁判所 昭和29年(モ)728号 判決 1955年1月22日
申立人 改田意都義
相手方 鶴田貢
主文
当裁判所昭和二十九年(ヨ)第三八号立入禁止等仮処分申請事件につき昭和二十九年二月二十六日当裁判所の為した仮処分決定は申立人が金十万円の保証を立つることを条件として之を取消す。
申立費用は被申立人の負担とする。
本判決は仮に執行することができる。
事実
申立人代理人は主文第一項掲記の仮処分決定は申立人が保証を立つることを条件として之を取消す旨の判決並に仮執行の宣言を求め其の理由として相手方は申立人が昭和二十九年一月訴外吉永産業株式会社に対し申立人所有に係る熊本県天草郡栖本村湯舟原字櫨中尾二千七百十八番山林二畝十八歩所在の杉立木を売渡し同会社に於て之を伐採したのに対し右の土地が登記簿上相手方名義であることを理由として「申立人は右土地に立入り立木の伐採搬出その他一切の処分行為をしてはならない」旨の仮処分の申請を為し当裁判所同年(ヨ)第三八号事件として書面による審理の結果右申請通りの仮処分決定を受け同年二月二十七日その執行をした併し右土地は申立人の先代農平が訴外平本百松より相手方の先代徳三郎が同人から同所千七百十一番を買受けたのと時を同じくして買受け現地の引渡を受けた土地であつて唯登記の際その地番を誤り農平の買受けた土地を同所二千七百十一番、徳三郎の買受けた土地を同所二千七百十八番と誤信し夫々所有権移転登記を受けたため本件土地が徳三郎名義となり相手方が相続に因り所得したことになつているのであるけれどもそれは飽く迄も登記簿上の誤りであつて実際の買主は農平であり爾来四十年間農平及びその死亡後は相続人である申立人に於て所有支配しその立木も亦申立人等に於て植付け育成したものであるから孰れも申立人の所有でありその処分権あることは疑を容れないところである然かもその立木は伐採後既に一年を経過しようとしておりこの儘放置すれば材質の低下、価格の変動により申立人はその買主に対し損害賠償の責任を生ずる結果となる特別の事情があるから相当の担保を供することを条件として右仮処分の取消を求むるため本件申立に及んだと述べ相手方の答弁に対し伐採木を野晒しのまゝ放置すれば材質の低下を来すのは当然であつて一般に伐木を一定期間放置するのは或程度の乾燥に必要な期間に限られそれ以上放置することは考えられない而して斯様に目的物の材質価格等が低下下落する場合は必ず換価命令を求むべきで仮処分の取消を求めることはできないという理由はなく又本件仮処分物件は代替物であつて金銭的補償が可能であるから仮処分を取消されることによつて相手方が償うべからざる損害を被ると言うこともできない尚本件仮処分物件の価格につき相手方は仮処分の申請及び本案の訴提起の際は価格は五万円相当であると主張し乍ら今に至つて多額の価格を主張するのは失当であると附陳した。<立証省略>
相手方代理人は本件申立は之を却下するとの判決を求め答弁として申立人の主張事実中被申立人が申立人主張の日時その主張のような仮処分の申請を為しその主張のような決定を受けその執行をしたことは之を認めるがその余は全部否認する(一)申立人は本件土地及び立木について申立人の所有であると主張するがかゝる主張は本案に於て決せらるべきもので仮処分の取消に所謂特別事情の理由とはならない(二)申立人の主張する事由では未だ本件仮処分を取消すべき特別事情に該当しない先づ申立人は放置によつて材質が低下するかのように主張するがそれは寧ろ逆であり材木は伐採後数年にして始めて良質の材を製造することができるものであつて特に本件の場所が速急に材質の低下を来すやうな状況下にもない仮にそうでないとしても之が救済は仮処分の取消によるべきではなく之を時価に換価してその価値を保存する為に所謂換価命令の申立を為すべきである(被申立人は将来に於ける質又は時価の低下を考慮して別に換価命令の申請をした)(三)申立人は又本件仮処分物件を第三者に売却しているので買主に対し損害賠償の責任を生ずることを以て取消の事情として主張しているがそれは本訴に於ける権利の存否に対する判断を俟つて決すべき事項に属し仮処分取消の事情として考慮すべき事柄ではない之を裏面から考察すれば若し仮処分が取消されるときは被申立人は全く目的物を喪失するに至り申立人以上の損害を被る結果となり仮処分物件についての本案の執行不能となるのであつてその損害は寧ろ申立人より大と云はねばならない尤も仮処分の取消に当つてはその条件として保証を供せしめることがあるからその保証のために万全を期する額ならば格別であるが裁判所が之を把握することは事実上困難であるから之を換価して目的物に代るものとして保管することが仮処分の本来の制度上最も当を得たものである尚本件仮処分物件の時価は市場に出せば約五十万円、現地に於ても約二十七、八万円相当である仮処分申請及び本案提起当時価額を金五万円と表示したのは事実であるがそれは物件の価格を精査してなかつた為で故らに不当に低廉に評価した訳ではないその後精査の結果右のような正当な価格を知り得た訳であると述べた。<立証省略>
理由
按ずるに相手方の申請により当裁判所に於て昭和二十九年二月二十六日「申立人は熊本県天草郡栖本村湯舟原字櫨中尾二千七百十八番山林二畝十八歩内に立入り立木の伐採搬出その他一切の処分行為をしてはならない」旨の仮処分決定が為され同年二月二十七日相手方に於てその執行をしたこと及び其の本案訴訟が現在当審に繋属中であることは当事者間に争がない凡そ仮処分により保全せらるべき権利が金銭的補償を得ることによつて其の終局の目的を達し得べき場合は民事訴訟法第七百五十九条に所謂特別の事情あるときに該当すると解すべきことは判例の夙に説示するところである今本件に付之を観るに本件仮処分は相手方が自己の所有であると主張する前記土地及び立木について申立人の侵害より保全するため申立人が右土地に立入り立木の伐採搬出その他の処分行為を禁止したものであるところ証人後藤栄作の証言によれば本件仮処分執行当時右土地にある杉立木は殆ど全部伐採されていたこと及び右伐採後直ちに本件仮処分の執行を受けその後約一年を経過した現在に於ては右材木は材質も低下し価格も相場の変動により相当の下落を来していることはその疏明十分であつて現に相手方より右伐木の換価命令の申請が為されていることは当裁判所に顕著なところであるそうだとすると相手方としても必ずしもその固有の請求を固執するものではないのであるから申立人が右仮処分により禁止された処分行為を為したとしても結局財産上の損害を受くるに過ぎないものであり相手方も之に因る損害賠償の保証があるならば必ずしも仮処分を維持する必要はないものと謂うことができよう即ち本件仮処分により保全せらるべき権利は金銭的補償を得ることによつてその終局の目的を達し得べきものであるから右法条に所謂「特別の事情」あるときに該当するものと謂はねばならないところが相手方は寧ろ換価命令の申立を為すべきである旨抗弁するから此の点に付審究するに債務者が仮処分の取消を求め得る場合は即ち債権者に於ては仮処分の目的とするところが金銭的補償によつて達せられ得る場合であるから目的物を換価してその代価を供託せしめても請求権保全の趣旨に反しない訳であつて換価命令の申請を為し得ることは勿論であるがその孰れの方途によるかは全く債務者の自由に属し必ず換価の方法によらねばならないという法律上の根拠はない一方債権者としても仮処分が取消された場合債務者が目的物を処分したために蒙つた損害を補填するに足る担保を供せしむるならば換価処分による代金を供託するのとその利害得失に於て事実上は寧ろ有利ではあつても不利益を被るべき理由はないのであつて要は仮処分取消の条件である保証金額の問題に帰着するのである而して本件に於ては別に相手方より仮処分の目的物件の一部について換価命令の申請が為されていることは前述の通りであつてかように債務者による仮処分の取消の申請と債権者による換価命令の申請とが競合する場合その何れの申立を認容すべきかは目的物の性質、換価の時期、仮処分の取消又は目的物の換価により当事者双方の蒙るべき損害等を比較衡量し当事者双方の利益に従つて決すべき事実問題であるが当裁判所は証人後藤栄作の証言及同証人の証言により成立を認められる甲第一、二号証の各記載を綜合して一応疏明があると認める本件仮処分物件の現状、価格の変動、申立人について存する諸般の事情等を斟酌し申立人に金十万円の保証を立てさせて本件仮処分を取消すを相当と認め申立費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条第一項を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 堀部健二)